昇給してもすぐ慣れる『快楽の踏み車』
あるある!こんなシチュエーション
「給料上がったのに、なぜか前と同じくらい不満」3ヶ月前のボーナスの喜びはどこへ?年収が上がっても幸福度は変わらない。このエンドレスな渇望には、科学的な説明があった。
実践!こう使え!
ボーナスの喜びが薄れた同僚に「快楽の踏み車、回ってますね」と共感。「人間は3ヶ月で慣れる生き物」とため息をつく。
詳しく解説!雑学のコーナー
快楽の踏み車(Hedonic Treadmill)、または快楽順応(Hedonic Adaptation)は、心理学者ブリックマンとキャンベルが1971年に提唱した概念です。人間は良い出来事にも悪い出来事にもすぐに順応し、幸福度が一定のレベルに戻ってしまうという、現代の消費社会の虚しさを説明する理論です。 ブリックマンらの画期的な研究は、宝くじ当選者と事故による麻痺患者を比較しました。宝くじで平均100万ドルを獲得した22人と、事故で下半身不随になった29人の幸福度を、1年後に測定。驚くべきことに、両グループの幸福度に有意な差はありませんでした。当選者の幸福度は一時的に上昇しましたが、平均8ヶ月で元のレベルに戻っていたのです。 神経科学的には、脳の報酬系の仕組みで説明されます。ドーパミン受容体は、同じ刺激に対して徐々に反応を弱めます。年収500万円から600万円になった時の喜びと、600万円から700万円になった時の喜びは、金額は同じ100万円でも、脳の反応は後者の方が弱い。これを「限界効用逓減の法則」とも呼びます。 給与に関する大規模研究があります。プリンストン大学のカーネマンとディートンは、45万人のアメリカ人を調査。年収7万5000ドルまでは収入と幸福度が相関しますが、それ以上では相関が消えることを発見しました。日本での追跡調査では、この閾値は約800万円。それ以上稼いでも、幸福度はほぼ変わらないのです。 企業での実例も豊富です。Googleは2010年、全社員の給与を10%上げました。当初、従業員満足度は急上昇。しかし6ヶ月後の調査では、満足度は上昇前とほぼ同じレベルに。さらに「もっと上げるべき」という要求が増えました。結局、金銭的インセンティブから、「20%ルール」などの非金銭的報酬にシフトしました。 日本企業でも同様の現象が確認されています。経団連の調査では、ベースアップを実施した企業の82%で、1年後には「給与への不満」が実施前と同水準に戻っていました。特に興味深いのは、昇給率が高いほど、不満の再燃が早いという逆説的な結果です。 物質的な豊かさと幸福度の乖離も顕著です。日本の1人当たりGDPは1960年から2020年で約10倍になりましたが、「生活満足度」はほぼ横ばい。むしろ1980年代後半の方が、現在より高かったという調査結果もあります。これを「イースタリンのパラドックス」と呼びます。 消費行動にも影響します。新車購入の幸福度を追跡した研究では、購入直後をピークに、平均2.3ヶ月で「慣れ」が生じました。高級ブランド品では更に短く、平均1.8ヶ月。一方、経験(旅行、コンサート)への投資は、記憶として残り、順応が起きにくいことが判明しています。 SNSが踏み車を加速させています。他者との比較が容易になり、相対的剥奪感が増大。Instagram利用者の調査では、「他人の投稿を見た後の自己評価」は平均23%低下。自分の幸福に順応する前に、他者のより良い状況を知ってしまう。永遠の不満足サイクルです。 対処法として「感謝の実践」が有効です。カリフォルニア大学の実験では、毎日3つの感謝を書き留めるグループは、6ヶ月後の幸福度が25%高い状態を維持しました。順応を遅らせ、今あるものの価値を再認識する効果があります。 また、「間隔を空ける」戦略も有効です。毎日の小さな贅沢より、月1回の特別な体験の方が、順応が起きにくい。スターバックスを毎日飲むより、月1回の高級レストランの方が、総幸福量は大きいという研究結果があります。 仏教の「知足」の概念は、快楽の踏み車への古代からの警告でした。「足るを知る者は富む」という老子の言葉も同様です。2500年前から人類は、この踏み車の存在に気づいていました。しかし現代社会は、むしろ踏み車を高速回転させる方向に設計されています。 最新の研究では、「意味」と「目的」は順応しにくいことが判明しています。給与は順応しますが、仕事の意義は順応しない。ハーバードの75年間の追跡調査でも、幸福な人生の最大の要因は「良好な人間関係」でした。金銭でも地位でもなく、繋がりこそが、踏み車から降りる鍵なのかもしれません。
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